寂しい女はソファーを置くな。
ニトリのソファー売り場に無断でそんなポスターを貼ってやろうかと思うくらい、寂しい夜にソファーから起き上がるには相当の勇気がいる。ツイッターとインスタグラムを往復してもタイムラインは変わり映えしない、だってさっき見たときから2分しか経っていないのだから。
誰か私からこのスマホを取り上げてお風呂に放り込んでくれ!と思うが、その誰かが居ればこんなに寂しくなっていないよね。いいや、寂しいのは人と会えないからだけじゃないのさ、“寂しい”はもっと複雑な感情なのさ!
幼少時代の寂しさと20代半ばからの寂しさは何かが大きく違う。
私の寂しさが、大人の寂しさになったのを悟った瞬間は、確か24歳の頃だったか。大黒摩季の「ら・ら・ら」がある日突然ぶっ刺さったのだ。小学生の頃何もわからずアホみたいに陽気に歌っていたあの曲がだ。
「何かやらなきゃ誰にも会えない」「これから私何をどうして生きていけばいいんだろう」が猛烈に自分の歌になったのだ。じゃあその頃、私生活に何があったのか? それが、何もないのだ。親も友達もいて幸せなのに、もう老後の孤独を憂えている。ノスタルジーを噛みしめている。
思うに、女性は20代中盤に寂しさが発生する機能を生理的に持っているのではないか。なぜか。人間に性欲が備わるのと同じ理由で。きっとね。
私は25歳で東京に出た。 こんなに重度の孤独を背負っているのに、知り合いもいない大東京に裸一貫で乗り込んだ。お笑い芸人として売れるためだ。
ここから私の寂しさはまた新たな角度を持ち始める。それまで大阪で実家暮らしの上での芸能活動は、ただキラキラした夢でしかなかった。仕事の給料はすべてお小遣いになるし、同級生より早めに仕事を始めて、ファンなんてできちゃって。しかし東京で私はボコボコに打ちのめされることになる。
まず芸人の仕事の収入だけで住める家が、ない。バイトをかけもちして、25歳にして自分が時給900円の価値の人間なのだと知る。同級生はみんな仕事で少しずつ昇進していて、彼女らが飲み会で平気で払う4000円が、きつい。ベタドラマの常套句「私、何やってんだろ」って、ほんまに言うんや、人って。
深夜ソファーに埋まる。大阪で今もキラキラしている同期や後輩のSNSが眩しい。そのとき、とてつもない、フジテレビの上の球体みたいなでっかい寂しさが私の上にのしかかってきた。私はソファーに押しつけられ、みるみるめりこんでいく。立てない…。
この寂しさのジャンルこそが「自己肯定感の低さからくる寂しさ」だろう。
そんな私も、ここ数年寂しいと感じることがなくなった。バイトをせずに何とか食べていけるようになった頃、売れることに必死で、こなせるかどうかなんて関係なく新しいことをやって、完全なるキャパオーバーだった。心のコップはなみなみだったけれど結果は出始めていた。
寂しさというのは複合的だけど、私はひとつの処方箋を見つけたのかもしれない。それは、
「夢中である」「必死である」こと。そこに寂しさが入り込む余地はない。果たしてその埋め方が幸せなのかはまだわからない。
相方にも、寂しさとはどこから来るのか、質問してみた。ゆめっちは「不安」、かなでは「周りへの憧れや羨ましさ」と答えた。女が3人いて、誰も「人と会えないこと」という答えを出さなかったというのは、興味深い。
今後の人生でもいろんな局面でまた寂しさは容赦なく襲ってくる。きっとそのとき私が取るべき行動は、"挑戦すること"だろう。
ソファーから立ち上がらない限りはどんどんスプリングがバカになっていくのみだ。