私は人見知りなのだが、あまり気付かれにくい。毎日がはじめましての連続な職業に就いてしまって、ある程度克服した部分はあるが、やはり根底には太い人見知りが横たわっている。この根幹の部分をどうにかすることができないかなぁと思い、人見知り年表を振り返ってみると、トラウマの連続だったことに気づいた。
遡ると、幼少期に引っ越しを繰り返して幼稚園を3つも通った所から完全に出鼻をくじかれている。まず私は2歳で保育園に入っているので、園内で会う人のほとんどが年上なのだ。さらに今思い出したが3歳頃、劇団に入れられていた時期があり、稽古でオオカミ役の先生に角に追い詰められて泣きすぎてゲロを吐いたことがある。そういえば私は幼少期いつも泣いていた。どこに行っても私は最年少で、つまり周りの誰よりも、「デキない」のであった。階段も早く降りられないし、口笛も吹けない。コンプレックスの基礎が出来上がっていた。そのせいか3つ目の幼稚園に行ったときもすぐには馴染めず、はないちもんめという残酷なゲームで最後まで売れ残って号泣した。
小学校に入ってキックベースボールのチームに入ったときも最年少で、ルールがわからなくて号泣した。「蹴ったら走れ」と言われたから走ったのに「走るな!」とか、意味わからんねん…。地域の子供会のパーティーで、おしりで風船を割るリレーのときも、最年少なので体が軽くて風船がなかなか割れなくて、「早く早く!」と言われて怖くなって、号泣してお母さんにトイレに連れていかれてゲロを吐いた。お察しの通り、私は泣いたらゲロを吐くタイプの子供だった。
この、「年上に対するコンプレックス」が、今でもかなり根付いたままである。今の仕事に置き換えると、芸歴が上の先輩だ。一年でも二年でも、少しでも上であるだけで、芸人であってもタレントであっても鈴木福くんであっても、萎縮してしまってなかなか堂々と喋れない。ゲロは吐かなくなった。成長成長。
とはいえ同級生とは一度打ち解けると早かった。小、中学校は顔ぶれも変わらないため、何事もなく楽しい学校生活を送ったが、高校生に上がったとき、知り合いがひとりもいない入学式で私の人見知りがスパークした。話しかけ方がわからないどころか、話しかけられても小さな声でしか応じられない。人見知りしてるときの私はまるで別人格なのだ。気弱で大人しい、パターンBの私。だからなのか、廊下に並んでいて私が防火扉にもたれたせいで大きな防火扉が動きだして廊下を二分しようとしたとき、焦りながら照れ笑いする私を誰も笑ってくれなかった。またトラウマが刻まれた。あと誰かが私のスリッパを履いていって、履くスリッパがなくなって露頭に迷っていたときも、誰も一緒に探してくれなかった。っていうか別人格とか関係なく普通に残酷だよ高校一年生…!
そんなこんなで最初の一カ月くらいは友達が出来なかったが、人格Aがチャックの中から出てきてくれてからは早かった。大学もそうで、最初はひとりで授業を受けひとりでお弁当を食べたが一カ月するとAが出てきてくれた。とにかく新しいコミュニティーにAは一カ月遅刻してくるんだよな。
私が自分の人見知りと真っ向から向き合ってみたのが、吉本に入ったときだ。養成所のタレントコースに入ったのだが、養成所は一年間しかないし、スタートダッシュが肝心だ。しかもタレントという、評価基準のなんとも曖昧な分野で勝負しないといけないため、人格Bの私をいつまでも鎮座させておくわけにはいかない!と思った私は、もう入学式から、人格Aを演じることにした。要は普段仲の良い友達と接しているときの自分を演じるということだ。やってみると、初対面の人にそれをやるのは随分無理をしている感覚だった。誇張した自分、というか…。しかしこれがなかなか効果ありで、誰にも気づかれずその後すぐに、無理せず自分らしくいられるようになった。
この、「自分を演じるスイッチ」を覚えたおかげで、今も仕事中はあたかも人見知りしていないように見せることができる。しかしやはりネックになっている、「芸歴が上の先輩」には今でも楽屋挨拶やカメラが回る直前まで、“パターンB・気弱”の私で接してしまう。さぞキモイだろう。タレントさんに「裏では芸能人と思えないほど声が小さい」とイジられてしまったほどだ。
原因はトラウマの年表が明らかにしてくれたが、対策の答えはきっと出ている。テレビ局入った瞬間からスイッチ入れればええやん、と。
でも、しんどいねんもん。これが人見知りの性だ。