ガンと診断されてから、約1ヶ月の早さで人生の幕を閉じてしまった我が家のダックスフント。散歩中に突然発作を起こし、そのまま意識が戻ることはありませんでした。
娘にとっては、生まれた時から生活を共にしている、言わば兄妹のような存在だったと思います。病院へ運ばれ、心臓マッサージを受けているあいだ、娘は横でずっと愛犬の名前を呼び続けていました。その時の娘の悲しそうな声は、今でも忘れられません。
翌日、私たち家族は愛犬の供養のため、田舎にある私の実家へ帰省しました。
娘は久しぶりに、じいじやばぁば・従姉妹たちと会えたことが嬉しかったのか、帰省中は終始ご機嫌。そんな娘の様子を見て「やっぱり『死』を理解するには、まだ早すぎたかな。死んじゃったときはショックを受けてたみたいだったけど、もう大丈夫そうで良かった」と、安心していました。
しかし、短い帰省を終え都内の自宅へ戻ってから、急に娘の様子がおかしくなってしまったのです。
最初は「なんか娘の様子が変だけど…また赤ちゃん返りが再発しちゃったかな?」くらいに考えていました。しつこいくらいの後追いから始まり、四六時中ぬいぐるみを離さなかったり、ニコニコしていたかと思えば突然ワケもなく怒りだしたり…。
ペットロス=元気がなくなったり、ご飯が食べられなくなってしまったりするものとばかり思っていたので、これらの行動が全て愛犬を失った反動によるものだと気付くまで、ずいぶんと時間がかかってしまいました。
そして私自身も愛犬を失ったショックから、しばらくのあいだ情緒不安定だったと思います。娘のよく分からない行動についイライラして、「どうしてちゃんとできないの!」と叱ってしまうこともありました。
ある晩、リビングでひと休みしているところにふらっと娘がやって来て、突然「私がいるよ。私は死なないよ」と言い出しました。多分、その時の私は寂しそうな顔をしていたのだと思います。
娘の言葉を聞いて、ようやく私は「娘はちゃんと『死』というものを理解していたんだ。これまでの問題行動は、全部ペットロスによるものだったんだ」と気付いたのでした。
悲しい気持ちを素直に出せる子どももいれば、娘のように態度と感情が分離してしまう子どももいる。娘は悲しい気持ちを表に出さなかっただけで、心の中ではずっと悲しんでいたのです。
あの一件以来、私は娘といろいろな感情を共有していくことにしました。
リビングに作った愛犬のメモリアルスペースを眺めながら、寂しい気持ちを吐き出し合ったり、アルバムを見返しながら、楽しかった思い出を語り合ったり…。そうすることで、娘はもちろん、私も前に進めた気がしています。
愛犬の死から数ヵ月。今でも娘とは、毎日愛犬の話題で盛り上がっています。お陰様で、問題行動ももうすっかりなくなりました。
愛犬が最期に残してくれた「命の尊さを勉強する機会」。この与えられた機会を大切にしながら、これからも過ごしていきたいと思います。