世間の価値観がここ数年で急速にアップデートされている。なかでも私たちお笑い芸人の周りで最も取り沙汰されるのは「容姿いじり」の件だろう。つい数年前までは、顔や体型をいじって笑いを取ることは当たり前だったが、最近はタブー視され始めている。でも「タブー」という言葉はなんとなく、「私は理解できないけどダメらしいね」というニュアンスに感じる。それではいけない。それでは意味がないので、少し深く考えてみた。
私は芸人になるときにまず一番に、どうやってイジってもらうかを考えた。見た目にインパクトがなかった私は、初対面から最速でイジってもらうために、「元アイドル」というのをフリにした出方をして「どの顔でアイドルやっとんねん!」を引き出した。「お前、ブスやで!」と言われてたくさんの人に笑われて、ガッツポーズで帰路につく女が存在するのはこのお笑いの世界だけだろう。
お笑いの世界では、「欠点=武器」だから、ブスもデブもハゲもみんな自分の欠点を愛せる。何も持ってなかったとしても自分の欠点を探すことが個性を模索する作業になる。もちろんこんな異次元を誰も日常社会に持ち込みはしないし、プライベートで相手をブスとイジることなんてもちろんしない。
「人の容姿を貶すのはよくない」という、本来当たり前であるべき価値観が今さら大声で叫ばれるようになったのは、SNSでたくさんの声を聞ける時代になったからだろう。ネットが大衆的になるまでの間、その声が届かなかっただけであって、ずっと前からあったのかもしれない。
芸人にとって人の欠点をいじることは、プライベートでは「失礼」、舞台やテレビの上では「親切、協力」という風に反転してしまう。しかしYouTubeが流行ってから視聴者はより"リアル"を求めるようになった。YouTube世代にはきっとテレビも"リアル"に見えていて、そういう"てい"でやっているとか、そんな言い訳は利かなくなってきている。バラエティー番組は箱の中で行われているゲームではなく、すぐそばにあるドキュメントと捉えられるようになってきた。
多様性の時代と言われているが、「どんな容姿も魅力的」というのは芸人にとっても同じなのだ。ブサイク、デブ、ハゲは芸人にとっては褒め言葉で、面白くて好かれて国民的人気者になった。それこそがどんな容姿をも認める行為だと思う。
でもその表現方法はあまりにも難しすぎて一般に根付かなかった。芸人、という仕事だから受け入れられるものであり、いじりと悪口の区別が難しかった。芸人の中にだって違和感を感じている人もいた。
使い方だけでなく見方も難しく、楽しく見ていたお笑い番組でつらい気分になる、笑えない、そんな人も出てきた。
そんな流れから、少しずつ容姿いじりはタブー視されるようになったわけだが、「タブーらしいからやめとこう」と、校則のようにルールに従うのは悲しい。一概に「容姿いじり」とくくるのではなくそこに優しさが含まれているかを全員が感じ取れるようになれば、この禁忌的なムードはなくなるのだろうが、なかなか難しいことだ。
急速にアップデートされている価値観。おそらくゴールは、"欠点を逆手にとって人気者になることができる世界"ではなくて、"容姿を欠点と捉えない世界"なのだと思う。そこまで到達するまでにかなり時間がかかるだろうし、到達しないかもしれないが、お笑い芸人のはしくれとして、向き合っていかなければならないと思う。